オーラリーのデザイナー岩井良太。神戸の古着屋から始まった物語とは

AURALEE(オーラリー)

「オーラリーってどんなブランド?」
「デザイナーの岩井良太ってどんな人?」
「なぜこんなに人気なの?」

素材とシルエットにこだわり抜き、幅広い年代の男女に大人気のAURALEE(オーラリー)。シンプルでありながら、一目で「オーラリーだ」とわかる独特の世界観は、デザイナー岩井良太の生き方そのものが反映されています。

この記事では、岩井良太の生い立ちから、オーラリー誕生の背景、生地へのこだわり、パリコレ進出、ブランド哲学まで徹底解説します。オーラリーファンはもちろん、ブランドに興味を持った方もぜひお読みください。

神戸モトコーとの出会い。中学生の岩井良太が見た世界

こんにちは、宅配買取QUOTの小松です!
岩井良太のデザイナー人生は、意外な場所から始まりました。

モトコーの古着屋。兄に連れて行ってもらった運命の日

1983年、兵庫県神戸市で生まれた岩井良太。彼のファッション人生の原点は、中学の頃に兄に連れて行ってもらった神戸の「モトコー(元町高架下通商店街)」でした。

高架下に古着屋が集まっているこのエリアで、岩井は初めて「ファッションというか服自体」に興味を持ちます。アメリカやヨーロッパの古着、A.P.C(アーペーセー)やHelmut Lang(ヘルムート・ラング)の服を好きになり、お年玉でヘルムート・ラングのジーンズを買いに行ったりしていました。

「古着もデザイナーブランドも両方好きで、いまだにどちらも変わらずに好きです」と語る岩井。中高生の頃からシンプルな服が好きで、お年玉やバイト代でA.P.CやHelmut Langの洋服を買っていたのです。この頃の体験が、後のオーラリーの「ミニマルでありながら上質」というコンセプトの基盤となりました。

くりまろ
くりまろ

中学時代に神戸の古着屋で目覚めた!お年玉でヘルムート・ラングのジーンズを買うなんて、筋金入りだにゃ!

「服屋になりたかった」元々デザイナー志望ではなかった

高校から大学卒業まで、岩井は古着屋でアルバイトをしていました。「ずっと服屋になりたいと思っていました。そもそもデザイナーになりたいとは思ってなかったんです」と本人が語る通り、最初からデザイナーを目指していたわけではありませんでした。

周囲に「そんなに服が好きなら作る方をやったら」とアドバイスされ、大学で経営を学んだ後に上京。働きながら文化服装学院Ⅱ部(夜間部)に通い、そこでミシンの使い方など基本的なことを学びます。装苑の編集部でのアルバイトを経て、翌年からニットメーカーで働き始めました。

「いい働き方だったかどうかはさておき、本当に夢中で働いていました。でも服の仕事は楽しかったから、まったく苦ではなかったんです」。この時期、尾崎雄飛氏(ノリコイケのデザイナー)に連れられて行った先々で、ファッション業界の先輩方、異業種のセンスのいい方々を紹介してもらい、いろんな職種の方と話す機会が持てたことは、とてもいい経験になったと言います。

興味深いのは、岩井の憧れの対象です。「思えば今まで、俳優やミュージシャンのような、遠い存在に憧れたことはなく、いつも身近な人に刺激を受けて目標にしてきました。それをクリアしていった結果がオーラリーにつながったんだと思います」。身近な人を目標にしてきたからこそ、地に足のついたブランド作りができたのです。

生地問屋クリップクロップ。オーラリー誕生の秘密

オーラリーの成功を語る上で欠かせないのが、生地問屋「クリップクロップ」での経験です。

業界内で有名な生地会社。素材への探究心の原点

一般的にはあまり知られていませんが、規模は小さいながらも企画する生地のクオリティから業界内では有名な生地会社、それがクリップクロップです。デビュー当時、オーラリーはこの会社に属しており、その会社こそがオーラリーがブランドとして成功を収めた背景に大きく関わっているのです。

ノリコイケなどで経験を積んだ後、岩井は生地問屋クリップクロップで働き始めます。ここでの経験が、オーラリーの最大の特徴である「素材開発からデザインする」というアプローチの基盤となりました。

「素材や生地の作り方、突き詰めて考えると原料にまで行き着くんですけど、自分が納得できる形で少しずつ広げようと思っていましたね」。原料から製品まで一貫して関わるデザイナーは珍しく、大手の海外ブランドなら生地専門のスタッフが日本に来て、京都の染屋とか刺繍の職人をリサーチしてデザイナーにプレゼンするところを、岩井は全部1人でやってしまうのです。

くりまろ
くりまろ

生地問屋での経験が秘密兵器!原料から製品まで全部自分で関わるから、他とは違う服ができるんだにゃ!

2015年春夏、オーラリー誕生。「AURALEE」という名前の由来

2015年春夏シーズン、岩井良太は自身のブランド「オーラリー」を立ち上げます。ブランド名の決め方には、岩井らしいエピソードがあります。

「自分の名前だけは違和感があってつけたくなかった。タグに全部自分の名前が付いているのも辛いし、意味深な言葉も恥ずかしいと思っていて」。ちょうどいい名前を調べていた時期に、たまたま流れている曲のタイトルが「AURALEE」で、「この曲ってなんだっけ」と思って調べたのです。

そしたら、エルビス・プレスリーの名曲「Love Me Tender」の原曲で、「日の当たる光る土地」という意味もあって、語呂が良くて自然と馴染むと思い、採用。「朝の光が似合うような洋服を作りたい」というデザイナーの意思が込められています。初めは「AURALEE」という名前も気恥ずかしかったそうですが、今ではブランドを象徴する名前となりました。

オーラリーらしさ。「服が人の前に出ず、主張しすぎない」哲学

オーラリーの服は一見シンプルですが、実は確固たる哲学があります。

「着る人の雰囲気がよかった」と感じてもらえる服

「デザインはミニマルなアプローチが好きで、そういうものしか自分はつくれないと思っています」と岩井は語ります。服が人の前に出ずに、主張しすぎないことがオーラリーらしさ。パーソナリティがある知性のある人に着てもらえたら嬉しいと考えています。

「オーラリーの服は結構普通なので、真っ先に服にがいって、あの人の着ていた服はすごい素敵だったなという印象よりは、さっきの人の雰囲気はなんかよかったなと感じてもらえるような服、そういう考え方です」。着ている人を後押しする服。見た目で明らかな違いを感じるというよりは、着たら、手触りや着心地で違いを感じてもらえるような服にしたいと考えているのです。

現代アーティストの李禹煥(リ・ウファン)の『余白の芸術』を読んだという岩井。「それが知性的で、元々作品も好きでしたが、ものを作るときの考え方としてとてもいいなと感じました」。余白を大切にする姿勢が、オーラリーの服にも表れています。

「オーラリーらしい色」50色以上の曖昧な中間色

オーラリーを語る上で、色のアプローチの話は外せません。「色については、自覚はないですが、AURALEEらしい色があると周りからよくいわれます」と岩井は語ります。

できる限り服は上品に見せたいので、ストレートな色使いを避けているのかもしれない。曖昧な中間色、どっちつかずの色が多いのです。例えば、タテ糸とヨコ糸で色が異なるシャンブレー生地や、数種類の色綿をミックスするスウェットは無限の組み合わせがあります。

「これまでの経験やノウハウを踏襲しても一発で満足のいくものはなかなかできません。何度も試作を繰り返す途方もない作業です。当然、生地が変われば、色出しのあんばいも変わります。毎回コレクションが完成するたび、『よくこんなにたくさんの色を使ったな』と自分でも驚くほど。今季も50色以上が店頭に並びます」

3色展開の場合、白、黒、シーズナルカラーというのが一般的ですが、オーラリーは違います。例えばグリーン、イエロー、ネイビーのように色モノがカラバリの軸。継続アイテムでも、色は必ずアップデートしています。

くりまろ
くりまろ

50色以上!曖昧な中間色が「オーラリーらしさ」を作ってるんだにゃ!

パリコレ進出。2019年の挑戦と受賞歴

2015年のブランドスタートから、オーラリーは着実に成長していきます。

2017年南青山に旗艦店。2018年「FASHION PRIZE OF TOKYO」受賞

2017年9月、岩井は東京・南青山に初の直営店をオープン。ブランドの世界観を表現すべく、旗艦店を構えました。素材にこだわったシンプルで飽きのこないデザインの服はたちまち人気を博します。

翌2018年、次なるチャレンジとして「ファッション・プライズ・オブ・トーキョー」第2回に応募し受賞。同年、「第37回毎日ファッション大賞」で新人賞・資生堂奨励賞を獲得しました。

2019年パリコレデビュー。「シンプル過ぎて特徴がわかりづらい」

「ファッション・プライズ・オブ・トーキョー」の支援で、2019-20年秋冬コレクションを初めてパリで発表。ブランドスタートから5年目にあたる、パリ・ファッション・ウィークでのパリコレデビューでした。

パリに発表の場を移した時は、「シンプル過ぎて特徴がわかりづらい」「ロゴ入りのアイテムやシグニチャーデザインは展開しないのか」と言われることも。しかし、「『良い』と評価してくださる海外のバイヤーやジャーナリストもいたし、これが自分たちのスタイルなのでこのままやろう」とスタンスは何も変えませんでした。

「最初の頃は『オーラリーの服のニュアンスは伝わりづらい』とも感じていて、正直不安もありました。ランウェイショーというもの自体、やったことがなかったので(笑)」。それでも、モデルに服を着せて歩いてもらうことも、自分のインスピレーションになっていきました。人が着た時の服の落ち感や素材のなびき方など、服作りのアプローチが広がったのです。

そうして6年を経て、ようやく少しずつショーの観客が増えている実感があります。2024-25年秋冬からパリ・ファッション・ウィーク公式スケジュールの「ランウェイ」の枠でショーを行うことになり、一気にプレスの観客も増え、より一層世界中の注目を集めています。

まとめ:「変わらず選ばれるブランド」を目指して

ここまで岩井良太とオーラリーの歩みを見てきました。

この記事のポイント
・岩井良太:1983年兵庫県神戸市生まれ
・中学時代に神戸モトコーの古着屋でファッションに目覚める
・元々「服屋になりたかった」デザイナー志望ではない
・文化服装学院夜間部→生地問屋クリップクロップで素材の基礎を学ぶ
・2015年オーラリー誕生、名前の由来は「光る土地」
・2019年パリコレデビュー、現在はパリ公式ランウェイ枠でショー
・哲学:「服が人の前に出ず、着る人の雰囲気を良くする」

岩井良太は「世の中が変わっても『変わらず選ばれるブランド』を目指した」と話しています。これまで壮大な夢を描いたことはなく、常に「先シーズンより、少しでも良くしたい」という思いで取り組んできました。

急に規模を大きくしようとするわけでもなく、岩井の姿勢は変わりません。「他のブランドに比べると確かに『普通』かもしれません。でも、そういう存在がひとつくらいあってもいいんじゃないかと思っています」。細部まで手を抜くことなく、無理をせず、自分たちに合ったやり方を貫いているから、「ものに対して正直でありたい」という思いが服に表れるのです。

現在は国内外からメンズ、ウィメンズともに幅広い世代から人気があり、メディアや同業界からも多くの支持を得ています。行き着く先には「光る土地」が必ずあると、オーラリーの洋服から歌が聞こえてくるかのようです。

もう使わない洋服やバッグが増えてきた方へ。まとめて整理しませんか?

着ないのに、なんとなく置いたままの服やバッグ、ありませんか?
手放すだけでクローゼットはスッキリ。思った以上の金額になることも。

クローゼット整理

クローゼットを整理して、いま欲しいモノの購入資金に変える。そんな賢いお買い物をしてみませんか?

買取実績&QUOT宅配買取が選ばれる理由はこちら →

ブランド服の買取なら、宅配買取QUOT(クオット)

私たちQUOTでは、アパレルの宅配買取を行っています。

フリマアプリ・リサイクルショップと何が違うの?

✓ QUOT リサイクルショップ フリマアプリ
査定の質

プロ査定士が
ブランド価値を正しく評価

×

アルバイト店員による
簡易査定

購入者次第
価値が伝わるかは運

買取価格

根拠を明示した
適正価格

×

買い叩かれる
可能性あり

手数料10%
相場判断が難しい

手間・時間

送るだけ
最短当日査定

店舗持ち込み
待ち時間あり

×

撮影・出品・梱包
売れるまで数週間

費用負担

完全無料
(送料・査定・キャンセル)

交通費・時間
ガソリン代

×

手数料10%
送料自己負担

安心感

LINE事前査定で
金額確認OK

その場で査定
交渉しづらい雰囲気

個人間トラブル
クレーム対応も自分で

QUOTなら、手間なく・適正価格で・安心して売却できます

まずはLINEで写真を送るだけの無料査定から。送る前に概算額がわかるので安心してご利用いただけます。

買取実績&QUOT宅配買取が選ばれる理由はこちら →