「川久保玲の若い頃ってどんな人だったの?」
「服飾学校に通っていないって本当?」
「山本耀司との関係は?」
世界的ファッションデザイナー・川久保玲。コム デ ギャルソンの創業者として知られていますが、その若い頃についてはあまり知られていません。
結論から言うと、川久保玲の若い頃は、服飾教育を一切受けずに独学でデザイナーへの道を切り開いた挑戦の日々でした。慶應義塾大学で哲学を学び、旭化成でスタイリストとして働いた後、26歳で自ら服を作り始めます。
この記事では、川久保玲の若い頃を徹底解説します。幼少期の家庭環境から学生時代、スタイリスト時代、そしてコム デ ギャルソン創業まで。世界を震撼させた「黒の衝撃」を生み出すまでの軌跡を追います。
川久保玲の若い頃①:反骨精神を育んだ幼少期と学生時代
こんにちは!宅配買取QUOTの小松です。
川久保玲の若い頃を語る上で、まず知っておくべきは彼女の生い立ちです。1942年10月11日、東京に生まれた川久保玲。その家庭環境が、後のデザイナーとしての哲学に大きな影響を与えました。
川久保玲の若い頃に影響を与えた両親の離婚

川久保玲は3人兄弟の長女で、唯一の女の子でした。父親は慶應義塾大学の理事を務めるエリート、母親は英語教師という教育熱心な家庭に育ちます。
しかし、この一見順風満帆な家庭には、ある問題がありました。
母親は子育てが終わった後、英語教師として職場復帰することを強く望んでいました。しかし当時の日本は男性中心の社会。女性が結婚後にキャリアを再開することは一般的ではなく、父親もその価値観に縛られていました。
結果として、両親は離婚。若い頃の川久保玲は、自分の意志を貫こうとする母親の姿を間近で見ていたのです。
慶應義塾で哲学を学んだ若い頃の川久保玲

川久保玲は幼稚舎から慶應義塾で学びました。慶應義塾中等部、慶應義塾女子高等学校を経て、1960年に慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻に入学します。
ここで注目すべきは、川久保玲が服飾系の学校に一度も通っていないということ。デザイナーとしては異例の経歴です。
大学では西洋美術や美学を学び、「美とは何か」「芸術とは何か」という根源的な問いに向き合いました。この哲学的な思考法が、後に「服とは何か」という問いを追求するコム デ ギャルソンのクリエイションにつながっていきます。

服飾学校ではなく哲学科を選んだのが、川久保玲らしいにゃ。「美とは何か」を学んだからこそ、既存の「美しい服」の概念を覆せたのかもしれないにゃ!
川久保玲の若い頃:学歴まとめ
・慶應義塾幼稚舎
・慶應義塾中等部
・慶應義塾女子高等学校
・慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻(1960年入学、1964年卒業)
川久保玲の若い頃②:旭化成時代とスタイリストへの転身
大学卒業後の川久保玲は、意外なキャリアからスタートします。ファッションとは無縁に見える大手繊維メーカーへの就職。そこでの経験が、デザイナーへの道を切り開くきっかけとなりました。
旭化成で働いた若い頃の川久保玲

1964年、22歳の川久保玲は株式会社旭化成の宣伝部に入社します。繊維メーカーの宣伝部で、広告撮影のスタイリングなどを担当していました。
しかし、川久保玲が旭化成で働いたのはわずか3年間。人事異動などをきっかけに退職を決意します。
退職後、川久保玲は文化出版局などの出版社での編集の仕事に興味を持った時期もあったといいます。当時の日本では、まだ「やりたいことを仕事にする」という選択は一般的ではありませんでした。
そんな中、旭化成時代の知人から「フリーランスのスタイリストになってはどうか」と勧められます。1967年、川久保玲は25歳でフリーランスのスタイリストとして独立しました。
「欲しい服がない」から始まった若い頃の服作り

フリーランスのスタイリストとして働く中で、川久保玲はある壁にぶつかります。
広告写真の撮影で、自分がイメージする服がどうしても見つからない。市場にある服では、川久保玲の求めるスタイリングが実現できなかったのです。
「ないなら、自分で作ればいい」
1968年、26歳の川久保玲は独学で服を作り始めます。デザイン、パターン(型紙)、縫製、仕上げまで、すべてを一人でこなしました。服飾の専門教育を受けていない彼女にとって、それは完全な独学でした。

「欲しい服がないから作る」という発想が、コムデギャルソン誕生のきっかけだったんだにゃ。既存のものに満足しない姿勢が、若い頃からあったんだにゃ!
川久保玲の若い頃:キャリア年表
・1964年(22歳)旭化成入社
・1967年(25歳)旭化成退職、フリーランスのスタイリストに
・1968年(26歳)独学で服作りを開始
・1969年(27歳)コム デ ギャルソン設立
川久保玲の若い頃③:コム デ ギャルソン創業から「黒の衝撃」まで
1969年、27歳の川久保玲はついに自身のブランドを立ち上げます。ブランド名は「コム デ ギャルソン」。フランス語で「少年のように」という意味です。
なぜ「少女のように」ではなく「少年のように」なのか。川久保玲自身は明確な理由を語っていませんが、そこには「性別や既成概念にとらわれず、自由でありたい」という強いメッセージが込められていると言われています。
若い頃に築いた東京での基盤

1969年にブランドを立ち上げた川久保玲は、1972年に原宿の「フリーマーケット HELP!」という店舗内の一区画に初出店。1973年には株式会社コムデギャルソンを設立し、本格的にレディースウェアの製造販売を開始します。
1975年、川久保玲は32歳で東京コレクションに初参加。このコレクションが高く評価され、同年に南青山にフラッグシップショップをオープンします。
1978年にはメンズライン「コム デ ギャルソン オム」を立ち上げ。国内での評価は着実に高まっていきました。
1982年「黒の衝撃」。世界を震撼させた瞬間

1981年、39歳の川久保玲はついにパリコレクションに初参加します。そして翌1982年、ファッション史に残る伝説が生まれました。
当時のパリは、ボディラインを強調した華やかなスタイルが主流。女性らしさを際立たせる、色とりどりの服が当たり前でした。
そこに川久保玲が持ち込んだのは、真逆のコレクション。全身真っ黒、穴の開いたニット、ゆったりとしたシルエット。体のラインを隠し、西洋の「美」の概念を根底から覆すものでした。
ファッションジャーナリストたちの反応は真っ二つに割れました。
この賛否両論こそが、川久保玲の狙い通りだったのかもしれません。彼女が求めていたのは「圧倒的な称賛」ではなく、コム デ ギャルソンの存在感を世界に知らしめることだったのです。
同時期にパリコレデビューした山本耀司も黒を基調としたコレクションを発表。二人の日本人デザイナーが起こしたこの革命は「黒の衝撃」と呼ばれ、ファッション史に刻まれることになりました。
日本では「カラス族」と呼ばれる黒ずくめのファッションが大流行。川久保玲の名は世界中に轟きました。

「黒の衝撃」が起きた1982年、川久保玲は40歳だったんだにゃ。若い頃からの独学と反骨精神が、世界を変える瞬間につながったんだにゃ!
川久保玲の若い頃と山本耀司の関係
川久保玲の若い頃を語る上で、避けて通れないのが山本耀司との関係です。二人は日本ファッション界を代表する存在として、長年にわたり比較されてきました。
慶應義塾の先輩後輩だった二人

川久保玲は1942年生まれ、山本耀司は1943年生まれ。わずか1歳違いの二人は、同じ慶應義塾大学に通っていました(山本耀司は法学部)。
二人の関係については、様々な噂が囁かれてきました。2019年に海外雑誌「SYSTEM MAGAZINE」で行われたインタビューで、山本耀司は「1970年代に川久保玲と8年間同棲していた」と発言。ファッション業界に衝撃が走りました。
真相は二人のみが知るところですが、若い頃からの同志であり、ライバルであったことは間違いありません。
1991年には「6.1 THE MEN」というジョイントショーを開催するなど、ビジネスパートナーとしての関係は長く続きました。私生活での関係がどうであれ、川久保玲にとって山本耀司は「近くにいたからこそ、同じ道を歩まない」決意を固めさせた存在だったのかもしれません。
50歳で結婚した川久保玲の現在

川久保玲が結婚したのは1992年、50歳のときでした。お相手は南アフリカ出身のエイドリアン・ジョフィー氏。
エイドリアン氏はもともと日本語とチベット語を学ぶために来日し、1987年からパリのコム デ ギャルソンで働いていました。一度退職して地中海クラブに移りますが、川久保玲の要請で1992年にコム デ ギャルソンに戻り、同年結婚。現在はコムデギャルソン・インターナショナルのCEOを務めています。
エイドリアン氏はインタビューでこう語っています。「皆誤解しているが、彼女は古い木や犬や猫、大粒のダイヤモンドが好きな優しい女性だ」。
メディアの前にはあまり登場しない川久保玲ですが、私生活では温かい一面があるようです。

仕事もプライベートも、川久保玲は自分の信じる道を貫いてきたんだにゃ。80歳を超えた今も現役で活躍しているのは、本当にすごいことだにゃ!
まとめ:川久保玲の若い頃が教えてくれること
ここまで川久保玲の若い頃について詳しく見てきました。
この記事のポイント
・川久保玲は服飾教育を一切受けず独学でデザイナーになった
・幼少期の両親の離婚が反骨精神の原点
・慶應義塾大学で哲学を学んだことがデザイン哲学につながった
・「欲しい服がない」から自分で作り始めた
・40歳で「黒の衝撃」を起こし世界を震撼させた
・山本耀司とは若い頃からの同志でありライバル
川久保玲の若い頃は、決して順風満帆ではありませんでした。両親の離婚、確立されていない職業への挑戦、独学での服作り。しかし彼女は「ないものは自分で作る」という姿勢を貫き、世界を変えるデザイナーになりました。
2025年現在、川久保玲は83歳。今もなおコム デ ギャルソンの代表取締役社長として第一線で活躍し、パリコレクションで新作を発表し続けています。
使わなくなったコムデギャルソンを手放すなら、価値が分かる場所で
コム デ ギャルソンは、川久保玲の哲学が詰まった特別なブランドです。
しかし一般的なリサイクルショップでは、その価値を正しく評価できないケースがあります。どのラインか、いつのシーズンか、どんなコンセプトで作られたものか。これを理解しているかどうかで、査定額は大きく変わります。
川久保玲の哲学を理解している人に見てもらうことで、納得のいく結果につながります。

コムデギャルソンは、服飾学校に通わず独学で世界を変えた川久保玲の魂が込められているんだにゃ。その価値を分かる人に見てもらうのが大切だにゃ!
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川久保玲の若い頃からの挑戦の歴史を知っているからこそ、コムデギャルソンの価値をちゃんと見極められるんだにゃ!
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