山本耀司ってどんな人?ヨウジヤマモト生みの親を徹底解説!

Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)

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「山本耀司ってどんな人?」
「ヨウジヤマモトの生みの親って聞いたけど、どんな経歴なの?」
「なぜ黒ばかりの服をデザインするの?」

世界的なファッションデザイナー・山本耀司について、こんな疑問を持った方も多いのではないでしょうか。

結論から言うと、山本耀司(やまもとようじ)は1943年東京生まれ、ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)の生みの親で、1981年にパリコレで「黒の衝撃」を起こした伝説のデザイナーです。戦死した父に代わり母親一人に育てられ、慶應義塾大学法学部卒業後に文化服装学院へ。1972年にY’sを設立し、川久保玲と共にパリコレクションに登場して世界のモード界を揺るがせました。

この記事では、山本耀司の生い立ち、「黒の衝撃」の真実、デザイン哲学、代表的なブランドまで徹底解説します。「日本が誇る世界的デザイナーについて知りたい」という方に、ぴったりの情報をお届けします。

山本耀司ってどんな人?1943年東京生まれの世界的デザイナー

こんにちは、宅配買取QUOTの小松です!
山本耀司(やまもとようじ)は、1943年10月3日に東京都新宿区で生まれた日本のファッションデザイナーです。

ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)の名でプレタポルテ(高級既製服)ブランドを展開し、世界のモード界に革命を起こしました。2026年現在、80歳を超えた今もなお現役で活躍し続けています。

1943年東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒の高学歴デザイナー

山本耀司は、1943年に東京都新宿区で生まれました。

山本耀司の基本情報
生年月日:1943年10月3日
出身地:東京都新宿区
学歴:暁星中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部、文化服装学院
受賞:1969年装苑賞・遠藤賞、1994年フランス芸術勲章シュヴァリエ、2005年フランス国家功労勲章オフィシエ、2008年ロンドン芸術大学名誉博士号
代表ブランド:Yohji Yamamoto、Y’s、Y-3

暁星中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。数多くいるデザイナーの中で、極めて高学歴なファッションデザイナーの一人です。

当初は弁護士志望でしたが、大学卒業後に母親の影響で文化服装学院へ入学。1969年に卒業し、同年に装苑賞と遠藤賞を受賞しました。

くりまろ
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慶應義塾大学法学部卒!弁護士志望からファッションデザイナーへの転身なんだにゃ!

1972年Y’s設立、1981年パリコレ初参加で「黒の衝撃」

山本耀司の輝かしいキャリアは、1972年にスタートしました。

山本耀司のキャリア
1972年:株式会社Y’s(ワイズ)設立
1977年:東京コレクションデビュー
1981年:パリコレクション初参加、「黒の衝撃」
1984年:メンズライン「ヨウジヤマモト プールオム」パリで発表
2002年:アディダスとの協業ブランド「Y-3」クリエイティブディレクター就任
2009年:民事再生法適用申請、その後再起
2014年:レアル・マドリードのサードユニフォームをデザイン

1981年、川久保玲のコム・デ・ギャルソンと共にパリコレクションに初参加。当時タブーとされていた「黒」を前面に押し出したショーを展開し、「黒の衝撃」と称され世界のモード界に衝撃を与えました。

初参加当時は評価が賛否両論で、メディアでは批判の声も。しかし、西洋の服のルールに反する表現として徐々に認められ、現在ではレジェンドと呼ばれる存在になっています。

長女・山本里美もデザイナー。ヨウジヤマモトグループ

山本耀司の長女、山本里美(Limi Feu)も、自身のブランド「LIMI feu(リミフゥ)」のデザイナーとして活躍しています。

1974年生まれの里美は、1996年にヤマモトヨウジに入社。現在はヨウジヤマモトグループの一員として、父とは異なる独自の世界観を展開しています。

くりまろ
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長女もデザイナー!ファッション一家なんだにゃ!

山本耀司の生い立ち。母親一人に育てられた少年時代

山本耀司のデザイン哲学を理解する上で、彼の生い立ちは欠かせません。

父は戦死、母が歌舞伎町で「フミ洋装店」を営む

山本耀司は、歌舞伎町で百貨店に総菜を卸す会社を経営する父・山本文雄と、その経理や事務作業を手伝っていた母・山本冨美の長男として生まれました。

父はカメラが趣味で、ドイツ製の二眼レフを愛用するダンディーな人物だったそうです。しかし、太平洋戦争でルソン島で戦死。その後、母は歌舞伎町でオーダーメイドの洋装店「フミ洋装店」を営み、女手ひとつで息子を育てました。

母も文化服装学院出身で、休む間もなく懸命に働いていたそうです。幼い頃の山本耀司は、ミシンの音とアイロンの匂いの中で懸命に働いている母親を通して、世間を見ていたと言います。

10代は非常に貧しかった
山本耀司自身が語るところによると、「10代は非常に貧しく、おふくろが作ってくれた物を意味も分からずに着ていた」とのこと。この母親との経験が、彼のデザイン哲学の根底にあります。

大学卒業後は世界放浪。母親に激怒され文化服装学院へ

慶應義塾大学法学部に進学するも、周囲は裕福な家庭に育った学生ばかり。社会に出る気を無くしてしまい、しばらくはバックパッカーとして世界中を放浪していたそうです。

ところが、必死に働いて息子を大学に行かせた母親に激怒され、大学卒業後に文化服装学院に入り直しました。1969年に卒業し、同年に装苑賞と遠藤賞を受賞。装苑賞は1956年に創設された賞で、現在では新人デザイナーの登竜門とも呼ばれています。

「幼い頃からずっと、女性を通して世の中を見続けてきました」

山本耀司は、こう語っています。「幼い頃からずっと、女性を通して世の中を見続けてきました」

ワイズというブランド設立にあたって山本の根底にあった哲学は、「モードというモノで、モードを否定するという感覚」。そして、「男性の服を女性が着るということ」、時代に流されない価値観を持つ、自立した女性たちに対する服作りです。

「女性が無理をしなければならない不条理な社会を構築した男たちは、みんな敵になったのです」と語っており、この女性観が原点になっています。また「母親が一番のファムファタル(運命の女性)だった」とも語っており、母親の影響を強く受けています。

くりまろ
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母親の影響が大きい!女性を通して世の中を見続けてきたんだにゃ!

「黒の衝撃」でパリコレを揺るがす。反骨のデザイン哲学

山本耀司を語る上で欠かせないのが、「黒の衝撃」と彼のデザイン哲学です。

なぜ黒なのか?「黒はすべてを受け入れる色」

「なぜ黒なのか?」と聞かれて、山本耀司はこう答えます。「黒はすべてを受け入れる色」だと。

装飾をそぎ落とし、主張をせず、でも誰にも染まらない。そんな黒には、静かなる強さがあります。黒って地味に見えるかもしれないけれど、それが逆に「余白」になる。着る人の個性や思想がその空間に浮かび上がる。そんな「見えない美学」が、ヨウジの黒には詰まっています。

1981年のパリコレでは、当時タブーとされていた黒を前面に押し出し、「黒の衝撃」と称されて世界を揺るがせました。

「服は身体を美しく見せるものではなく、守るものである」

山本耀司の有名な言葉があります。「服は身体を美しく見せるものではなく、守るものである」

人の形をなぞるのではなく、むしろ覆い、歪ませ、ズラしていく。ドレープ、ボリューム、アシンメトリー、そして風に揺れる布の動き。その「間」の美しさこそがヨウジです。

肌を露出しない。なのにセクシー。そんな矛盾を成立させてしまうのが、彼の天才性でもあり哲学です。

ファストファッションへの痛烈な批判「クラフツマンシップを殺した」

批判

山本耀司は、ファストファッションに対して痛烈な批判をしています。

「簡潔に答えると、ファストファッションはクラフツマンシップを殺したと思っている。もうけるために、発展途上国の人たちを低賃金で働かせ、劣悪な労働システムを生み出している」

「一日に何回も、ファストファッションで買い物するなんて、少しは疑問持てよ、と言いたい」

服作りに対する真摯な姿勢と、クラフツマンシップへのこだわりが、この言葉から感じられます。

くりまろ
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クラフツマンシップへのこだわり!服作りへの真摯な姿勢が伝わるんだにゃ!

山本耀司の代表的なブランドとコラボレーション

山本耀司は、様々なブランドラインとコラボレーションを展開しています。

Y’s(ワイズ)。1972年スタートの最初のブランド

1972年にスタートした、山本耀司が最初に立ち上げたブランドがY’s(ワイズ)です。

実はYohji Yamamoto pour hommeより先にスタートしています。デイリーウェアとして着られる機能性・実用性に重きを置いたラインで、自立した女性がテーマです。

Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)。レディース・メンズの主軸ライン

Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)は、山本耀司を代表するメインラインです。

レディースとメンズがあり、1984年からメンズライン「ヨウジヤマモト プールオム」がパリで発表されています。パリコレクションで毎シーズン発表され、世界中のファッション好きから注目されています。

Y-3(ワイスリー)。アディダスとのコラボレーション

2002年、山本耀司はアディダスとの協業ブランド「Y-3(ワイスリー)」のクリエイティブディレクターに就任しました。

1999年にフランスのレジオンドヌール勲章を受章した後、ストリートカルチャーから離れすぎた「高み」に来てしまったという考えがあり、自分自身をストリートに戻すためにアディダスに提案したそうです。

スポーツ×モードの融合。スニーカー好きなら誰もが知っているY-3 QASAやKAIWAなど、ヨウジの哲学をストリートに落とし込んだ代表的なコラボレーションです。

くりまろ
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Y-3はスニーカー好きにも大人気!モード×スポーツの融合なんだにゃ!

使わなくなったヨウジヤマモトを手放すなら、価値が分かる場所で

ヨウジヤマモトは「分かる人が見ないともったいない」ブランドです。

一般的なリサイクルショップでは、ヨウジヤマモトを「黒い服のブランド」としてひとまとめに査定されることがあります。しかし実際には、プールオムのコレクションピース(定価数十万円)とY-3のカジュアルアイテム(定価数万円)、S’YTEのオンライン限定ライン(比較的手頃な価格帯)では、中古市場での評価がまったく異なります。

さらに、ヨウジヤマモトには品番タグのアルファベットでラインを判別するという独自の仕組みがあります。タグの「H」はプールオム系、「F」はファム系など、品番を読めるかどうかが正確な査定に直結します。

また、プールオムの「レプリカ」シリーズ(過去の名作を再生産したもの)は通常ラインとは異なる評価軸が必要です。同じ「ヨウジヤマモト」でも、ラインと年代によって価値は10倍以上変わることがあります。

こんな経験ありませんか?
・プールオムのコレクションピースをY-3やGround Yと同じ基準で安く査定された
・品番タグのライン判別ができず、ハイエンドラインを通常ラインとして扱われた
・BLACK SCANDALの山本耀司直筆プリントアイテムの希少性が評価されなかった
・Dr.MartensやNew Eraとのコラボ限定品の市場価値を反映してもらえなかった
・90年代のヴィンテージアイテムを「古い黒い服」として低い査定にされた

ヨウジヤマモトは約20ライン、品番タグによるライン判別、シーズンテーマの歴史的価値、コラボの希少性、さらにレプリカシリーズの位置づけまで——査定の奥行きが非常に深いブランドです。ラインの特性とコレクション史を理解した査定なら、「黒い服」扱いとはまったく違う結果になるはずです。

くりまろ
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ヨウジヤマモトは約20ライン!品番タグのアルファベットで価値がまるで変わるにゃ!

ヨウジヤマモトを売るなら、宅配買取QUOT(クオット)

私たちQUOTでは、ヨウジヤマモトの全ラインの買取を行っています。プールオムのコレクションピースからファムのハイエンドアイテム、Y’sの日常着、Y-3のスポーツライン、BLACK SCANDALのプリントアイテム、Ground Yのジェンダーレスライン、そしてDr.MartensやNew Eraとのコラボまで。品番タグによるライン判別、シーズンテーマの市場評価、コラボの希少性をすべて把握した上で、一点ごとに丁寧に査定・お買い取りしています。

QUOTの特徴
・約20ラインすべてに対応。品番タグのアルファベットによるライン判別を正確に行い、ライン間の価値差を反映します
・プールオムの「レプリカ」シリーズやBLACK SCANDALなど、特殊ラインの位置づけを踏まえた査定を行います
・Y-3、Dr.Martens、New Eraなど多数のコラボアイテムの希少性も専門的に評価します

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「黒の衝撃」から40年以上。ヨウジの価値を正しく見極めるプロに任せるにゃ!

「大切にしてきたヨウジヤマモト、次に届くべき人のもとへ届けたいな」と思ったら、お気軽にご相談ください。
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まとめ:山本耀司は「黒の衝撃」で世界を変えた日本の伝説

ここまで山本耀司について詳しく見てきました。

この記事のポイント
生年月日:1943年10月3日、東京都新宿区生まれ
学歴:慶應義塾大学法学部、文化服装学院
家族:父は戦死、母が「フミ洋装店」経営、長女・山本里美もデザイナー
キャリア:1972年Y’s設立、1981年パリコレ初参加「黒の衝撃」
哲学:「黒はすべてを受け入れる色」「服は守るもの」「女性を通して世の中を見続けてきた」
代表ブランド:Y’s、Yohji Yamamoto、Y-3
批判:ファストファッションは「クラフツマンシップを殺した」

山本耀司は、1943年東京生まれ、戦死した父に代わり母親一人に育てられた伝説のデザイナー。慶應義塾大学法学部卒業後、文化服装学院へ入学し、1972年にY’sを設立。1981年にパリコレで「黒の衝撃」を起こし、世界のモード界を揺るがせました。

「黒はすべてを受け入れる色」「服は身体を美しく見せるものではなく、守るものである」という哲学のもと、装飾をそぎ落とし、主張をせず、でも誰にも染まらない服を作り続けています。ファストファッションへの痛烈な批判も、クラフツマンシップへのこだわりの表れです。

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