「ピンクハウスを作ったのは、誰?」
「金子功って、どんなデザイナー?」
「金子功時代のピンクハウス、価値があるって本当?」
ピンクハウスを語る上で、絶対に欠かせない名前──それが、デザイナー・金子功(かねこいさお)です。
1973年にピンクハウスを創業し、80年代DCブランドブームを牽引。唯一無二のメルヘンチックな世界観で、日本のファッション史に名を刻んだ伝説的デザイナーです。
この記事では、金子功の生涯とピンクハウスの歴史を徹底解説。文化服装学院「花の9期生」としての出発、80年代の栄光、1994年の退社、そして2007年の引退まで。金子功時代のアイテムが持つ、本当の価値もお伝えします。
金子功とは?日本ファッション界の伝説的デザイナー

まずは、金子功という人物について、基本情報から見ていきましょう。
プロフィール:1939年生まれ、山口県出身

金子功(かねこいさお)
1939年7月15日生まれ、山口県出身。
高校生の頃、「サロン・ド・シャポー」という帽子屋の袋に描かれた長澤節さんのイラストを見たことをきっかけに、ファッションデザイナーを志します。
高校卒業後、1957年に文化服装学院に入学。この年度は、「花の9期生」と呼ばれる伝説の年でした。

「花の9期生」!どんなメンバーだったんだにゃ?
文化服装学院「花の9期生」:伝説のクラスメイト

金子功が入学した1957年度は、「花の9期生」と呼ばれる伝説の年でした。
同期には、KENZO創設者・高田賢三、NICOLE創設者・松田弘光、コシノジュンコなど、後に日本のファッション界を牽引する名だたるデザイナーたちが在籍していたんです。
金子功は、文化服装学院を卒業後、セツ・モードセミナーにも通学。長澤節さんの教えを受けました。
その後、広告制作会社アドセンターに入社。そこで、妻となる立川ユリさん(anan創刊時のモデル)と出会います。
1973年、ピンクハウス誕生:「女の子の好きなものがいっぱい集まっている家」

アドセンター退職後、金子功は松田弘光氏のNICOLEに入社。在籍中の1971年、ピンクハウスが誕生します。
そして1973年、株式会社ピンクハウスを設立。本格的に活動をスタートさせました。
ブランドコンセプト:「もっとも自分らしくあるための服」

ピンクハウスのコンセプトは、「人を愛し、生活を愛し、人生を愛するすべての女性たちに贈る”もっとも自分らしくあるための服”」。
「女の子の好きなものがいっぱい集まっている家」──フリル・レース・リボン・花柄・テディベアなど、少女が憧れるモチーフを贅沢に使ったデザインは、他のどのブランドとも似ていない唯一無二の世界観を確立しました。
「背のびをしないで、ほんとうに好きなもの、いちばん好きなものだけを作りたいですね」──金子功のこの言葉が、ピンクハウスの全てを物語っています。
80年代DCブランドブーム:ピンクハウス、一世を風靡

ピンクハウスが大ブレイクしたのは、80年代でした。
「黒の衝撃」の次に来た、メルヘンの衝撃
80年代初頭、コムデギャルソンとヨウジヤマモトが「黒の衝撃」と呼ばれるムーブメントを巻き起こしていました。
その中で登場したピンクハウスは、真逆のメルヘンチックな世界観でファッション界に衝撃を与えます。
1984年頃には、DCブランドの中心的アイコンに。数々の雑誌に取り上げられ、金子功氏本人もたびたび登場。ブランドやデザインの想いを発信し、ファンの心を掴んでいきました。

「黒の衝撃」の次は「メルヘンの衝撃」!すごい時代だにゃ!
時代背景:松田聖子、Olive創刊、「少女性のかわいさ」ブーム

80年代は、松田聖子や小泉今日子などのアイドルブーム、そして雑誌「Olive」創刊など、「少女性のかわいさ」が流行していた時代。
その時代背景も相まって、ピンクハウスは多くの女性の憧れのブランドとなりました。「東京カワイイ」の先駆けとして、日本のファッションカルチャーを牽引していったんです。
金子功が手がけた他のブランド:インゲボルグ、カールヘルム、カネコイサオ
金子功は、ピンクハウスだけでなく、複数のブランドを展開していました。
インゲボルグ(INGEBORG):1982年〜

1982年に創設された、ピンクハウスのお姉さん的存在のブランド。
ブランド名はドイツ語で「ユリの花」を意味し、妻・立川ユリさんの名前に由来しています。ピンクハウスよりもクラシックで大人っぽい雰囲気が特徴です。
カールヘルム(Karl Helmut):1985年〜

「永遠の少年たち」をコンセプトに、ピンクハウスのメンズラインとして1985年に設立。
価格はピンクハウスに比べ低めで、単独店はなくピンクハウス店舗内で販売されていました。テディベアがプリントされたアイテムなど、遊び心のあるデザインが魅力です。
カネコイサオ(KANEKO ISAO):1990年〜

1990年9月、金子功は自身の名前を冠したブランド「カネコイサオ」を設立。
「本当に自分らしい服を作りたい」という信念のもと生まれたブランドで、緻密なデザイン性とこだわりが詰まっています。何度も染め上げて実現する色見、非常に繊細なレースやフリル──ため息が出るほど美しいデザインでした。
ワンダフルワールド(WONDERFUL WORLD):1994年〜

1994年にピンクハウスを退社した後、金子功がスタートさせたブランド。カネコイサオの姉妹ブランドとして位置付けられています。
季節の花を贅沢な色彩で表現した、永遠のロマンティックデザイン。2007年のブランドクローズ後も、その輝きは増しています。
1994年、ピンクハウス退社。そして2007年、デザイナー活動休止

金子功の人生における、大きな転換点が2つありました。
1994年1月、株式会社ピンクハウスを退社・独立

1992年11月、「カネコイサオ」第一回コレクションを開催。そして1994年1月、株式会社ピンクハウスを退社・独立し、株式会社カネコイサオに専念することを決意します。
ピンクハウスは、金子功が去った後も、彼が作り上げたメルヘンチックなエッセンスを受け継ぎながら、現在まで続いています。
2007年、デザイナーとしての活動を休止
2007年秋、金子功はデザイナーとしての活動を休止しました。
ファンから惜しまれつつの引退でした。しかし、Twitterでは1日3〜4回ほどファッションについてつぶやいており、金子功のファッション魂は現在もご健在だと言われています。

引退しても、ファッション魂は健在!素敵だにゃ!
金子功時代のピンクハウス、その価値とは?

金子功が在籍していた時代のピンクハウスは、ヴィンテージとして高い価値を持っています。
ヴィンテージの基準:金子功在籍時代(〜1993年)が最高峰

ピンクハウスのヴィンテージは、創業者でありデザイナーであった金子功氏が在籍していた1993年までが最高峰とされています。
さらに、渋谷ロフトの並びにピンクハウスワールドがあった1997年頃までの商品も、「古くて良いなぁ」という魅力があり、ヴィンテージとして価値が高いです。
2023年、ピンクハウス50周年記念展開催

2022年、ピンクハウスは創業50周年を迎え、代官山で「Timeless Pink House展」を開催。
歴代200種類のプリント柄、80〜90年代を中心とするコレクション、金子功の残したことば──過去から現在までのアーカイブが一堂に集約され、大きな話題となりました。
2023年11月には、表参道に新たなフラッグシップショップもオープン。ピンクハウスは、金子功という伝説的デザイナーの遺産を受け継ぎながら、進化を続けています。
まとめ:金子功は、日本ファッション史に名を刻んだ伝説
ここまで、デザイナー・金子功とピンクハウスの歴史を見てきました。
この記事のポイント
・金子功は1939年生まれ、文化服装学院「花の9期生」
・1973年ピンクハウス創業、80年代DCブランドブームを牽引
・インゲボルグ、カールヘルム、カネコイサオなど複数ブランド展開
・1994年ピンクハウス退社、2007年デザイナー活動休止
・金子功時代(〜1993年)のアイテムはヴィンテージとして高価値
金子功は、唯一無二のメルヘンチックな世界観で、日本のファッション史に名を刻んだ伝説的デザイナー。
「女の子の好きなものがいっぱい集まっている家」──そのコンセプトのもと生み出された服は、今なお多くの人を魅了し続けています。
金子功時代のピンクハウスを持っている方は、その価値を知って、大切にしてください。そして、もし手放すときは、その価値を理解してくれる次の持ち主に託してあげてください。
クローゼットに眠っている金子功時代のピンクハウス、その価値を知っていますか?
「金子功時代のピンクハウス、もう着ないかも…」そう思っている方、そのアイテムには歴史的価値があります。
特に、金子功在籍時代(〜1993年)や90年代のアイテムは、ヴィンテージDCブランドとして高値で取引されています。着ないまま眠らせておくより、その価値を理解してくれる次の持ち主に託しませんか?

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ピンクハウスのようなヴィンテージDCブランドは、デザイナーや年代によって価値が大きく異なるブランド。だからこそ、専門知識を持った査定人が必要です。

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